フェルナンデス-ガオ

フェルナンデス-ガオ(Fernández Gao)というボデガをご存知でしょうか?2014年にアントニオ・サンチェス・ガゴ(Antonio Sánchez Gago)氏がこのブランド名を購入し、この伝統あるボデガが再びよみがえりました。

今日は私のパートナーのペペ・ヒメネス(Pepe Jimenéz) が2017年6月26日にDiario de Jerez にて発表した記事『帰ってきた不死鳥:フェルナンデス-ガオ(El retorno del ave Fénix: Fernández Gao)』 の要約を掲載いたします。まだ私のスペイン語力が十分とは言えないので、もしかしたら誤りや稚拙な訳があるかもしれませんが、何とぞご容赦いただければ幸いです。


1750年スペイン北部出身のマヌエル・フェルナンデス(Manuel Fernández)がボデガを設立。その後息子のファン・アロンソ・フェルナンデス(Juan Alonso Fernández)に事業を継承。ファン・アロンソはスペイン北部のアビアダ(Abiada ブルゴスとカンタブリアの中間の都市)生まれで、その後ヘレス出身のアナ・マリア・ロペス(Ana María López)と結婚。その当時はアルマセニスタとして事業を営んだ。彼らの息子、ホセ・マリア・フェルナンデス・イ・ロペス(José María Fernándezy López)(1798 年ヘレス生-1864年ヘレス没)がセビーリャ出身のホセファ・マリア・ゴンザレス・デ・モリナ(Josefa María González de Molina)と結婚する。
1818年から1828年にかけて彼らは良質なパゴの畑を拡大し、モストをマヌエル・マリア・ゴンザレス&デュボスク(Manuel María González&Dubosc)へ販売した。
彼らの三人の子供のうちの一人、ホセ・マリア・フェルナンデス・ゴンザレス(José María Fernández Gonzalez)(1843年ヘレス生-1914年プエルト・レアル没)が後継者になるべくイングランドへ留学。その後フランシスカ・デ・アシス・ガオ・フェルナンデス・デ・ロス・リオス(Fransisca de Asís Gao Fernández de los Ríos)と結婚し、7児をもうける。ホセ・マリアは弁護士であり、革新的なボデガ人であり、企業人であり、また政治家だった。1909年にはヘレス市の市長と、テンプイ水道会社(Sociedad Augas de Tempúi)の社長も務める。1896年にマヌエル・カンティーリョ・イ・ガルシアと協業しワイン会社フェルナンデス・カンティーリョ(Fernández y Cantillo)を設立し、ボデガを現在のアルコス通りに持つことになる。(このボデガは後日マヌエル・デ・ミサ Manuel de Misaが買収)。この数年前彼はすでに英国領事であるC.H.ファーロング(C.H.Furlong)の一部のワインビジネスと機材を購入していた。1914年にカンティーリョが死亡するとフェルナンデス・カンティーリョはフェルナンデス-ガオ・エルマノス(Fernández-Gao Hnos.)へと企業名を変更。
その後二人の息子であるフェルナンド・フェルナンデス-ガオ・イ・ゴンザレス(Fernando Fernández Gao Y González)(1878年ヘレス生-1949年没)が1919年に事業を継承。手広くワイン生産者およびアルマセニスタとして事業を営む。1922年に法律により、1925年に教会の手続きを経て、彼は彼の父方の姓フルナンデスと母方の姓のガオを一つにし、フェルナンデス-ガオFernández-Gao)と名乗ることを認められた。彼はエル・プエルト・デ・サンタ・マリア出身のアナ・マリア・ゴンザレス・イ・トラビエソ(Ana María González y Travieso)と結婚した。

この会社の最も有名なワインはフィノでラ・ミナ(La Mina)、アモンティリャード・フィノのEL 68(このワインのソレラが設立された年)とアルバリスエラ(Albarizuela)、オロロソのEl50、ロイヤル・シェリー(Royal Sherry)とマンサニーリャのラ・アフリカーナ(La Africana)である。また、ブランデーはレへンダリオ(Legendario)チモネル(Timonel)デル・ノベシエントス・クアトロ(Del novecientos cuatro)、そしてジンのフェガチェ(Fegache)があった。

この企業の多くのエチケットはへレス出身のグラフィック・アーティストであるホセ・ルイス・トーレス(José Luis Torres)によるものである。

また彼らの評判は1919年3月発行のABC紙にエンリケ・ガロ(Enrique Garro)記者による一面を使った記事に掲載された。

1949年にフェルナンド・フェルナンデス-ガオが亡くなると、ボデガは彼らの子供たちであるマチルデ(Matilde)フェルナンド(フェルナンド)そしてラミロ・ホセ・フェルナンデス-ガオ(Ramiro José Fernández-Gao)に引き継がれた。

1953年にフェルナンドの子供たちがイホス・デ・フェルナンド・フェルナンデス-ガオ・イ・ゴンザレス(Hijos de Fernando Fernández-Gao y González)を設立し、レチューガ通り(Calle Letuga)にボデガを構えるが、およそ10年ほどでペドロ・ドメック(Pedro Domecq)に売却れる。
マチルデの息子たちがビルバオ・フェルナンデス-ガオ(Bilbao Fernández-Gao)を設立するが、わずか5年ほどで廃業する。
1959年から1964年にかけて紆余曲折したのち、1967年ラミロ・ホセの子供たちが彼らの株の持ち分をマッケンジー(Mackenzie)に売却する。
ラミロ・ホセ・フェルナンデス-ガオ・カステリョン(Ramiro José Fernández-Gao Castellón)は1960年の収穫祭における名誉カパタスに選ばれ、彼の異母兄弟のディエゴ・ファーガソン・カステリョン(Diego Ferguson Castellón)はハーベイズ(Herveys)の取締役に就任し、1970年にマッケンジーを買収する。

2014年へレス出身の企業人、アントニオ・サンチェス・ガゴ(Antonio Sánchez Gago)がフェルナンデス-ガオの企業名とブランド名を買収し、非常に高い品質の彼の家族の所有するソレラから造られるシェリーとともに市場に参入した。このプロジェクトは現在の市場の傾向やより要求の多い消費者の要望に応えるようなワインを作り上げることを期待し、立ち上げられた。
彼の兄弟で”新しい”ボデガの技術責任者を務めるファン・カルロス(Juan Carlos)はカディス大学卒業の化学者である。

新生フェルナンデス-ガオの目的は、へレス市の中心部に位置する放置もしくは本来の目的と違う使用方法をされた古くからの建物を回復させ、ワインとヘレス市が所有する重要な歴史的遺産に新たな命を吹き込むことである。

現在ヘレスの中心部に二か所のボデガを構える。ひとつはパハレテ通り(Calle Pajarete)の昔のレアル・テソロ(Real Tesoro)の建物で、もうひとつが彼らが以前ボデガを構えていたアルコス通り(Calle Arcos)にある。

パハレテ通りにあるフェルナンデス-ガオのボデガ内部パハレテ通りにあるボデガの内部。以前はレアル・テソロが所有していた。

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